モーツァルトの流れる部屋で

モーツァルトの流れる部屋で

対談:唐木田 又三・安藤 裕
信濃毎日新聞社「酒の器・・・私の逸品」
2000年刊より引用

安藤) 彼岸をちょっと視察にいくようなもんだな。二日酔いすれば一泊旅行だ。
唐木田) 泥酔したら、視察にならんよ(笑い)
唐木田) vモーツァルトを聴いて育った音楽酒「蔵粋 クラシック」というのがあって、最近まで良く飲んだものですが、私は近ごろ酒の代わりに音楽。これが不思議に向こう岸に行かせてくれるんだな。モーツァルトのある小さな一曲。それを聴くと、向こう岸にいっちゃうんだ。
篠ノ井(長野)に川村驥山(かわむらきざん)という書家がいたんだが、驥山さんは必ず一杯飲んでから書いていたそうだ。これは向こう岸へ行くわけで、こっちの岸の束縛から離れて、自由になって遊ぶということさ。
安藤) 普通の遊びと全然違うんだな。
唐木田) 束縛を離れ自由になることでしょう。二千年前の中国ね、唐・宋時代以前の中国は立派だと思う。私が一番ピンとくるのは老子・荘子ね。荘子にいい言葉があるんだよ「逍遙遊(しょうようゆう)」。要するにぶらぶら歩きですよ。心を自由に遊ばせるということ。これを二千年前に言っているんだもの。・・・

 

信濃毎日新聞社「酒の器・・・私の逸品」
2000年刊より引用